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韓国合宿! 2日目!

みなさん!こんにちは!
あっという間に9月になりました!長いはずの夏休みも終わってしまい、大学の後期の授業も始まりました…!


さて今回も引き続き、
姉歯ゼミ夏合宿の様子をお伝えします!!2日目はゆりが担当します!

2日目はどんなことがあったかというと…
西大門刑務所歴史館  ↓ 戦争と女性の人権博物館の見学  ↓ 自由行動を経て… ↓      現地の方々(詳細は改めて!)との夕食会
…この日もまた盛りだくさんな1日でした!


見学地の内容はヘビーなものが多いのですが、歴史の事実を確認することが今回の合宿のひとつの目的でもあったので、お付き合いいただけたら幸いです!

前半は見学メインの「学習編」、
後半はその後の「自由行動・夕食会編」と題して書き進めたいと思います!

写真も合わせながら紹介していきます!


~学習編~
まずは…


名前からも分かるように、
もともとは刑務所として実際に使われていた場所です(1908〜1987年)。


日本の占領化時代は「京国監獄」という名称で

日本の植民地下では日本からの独立を目指す運動を起こそうとした人、
光復(日本からの独立)後は民主化運動家といった人々が収容されました。


姉歯先生がおっしゃった「韓国に行ったらここには行くべき」という意味が、
見学後、少し分かった気がします。


ここでは私が特に印象に残ったことを3つ挙げたいと思います。

牢屋や絞首刑場、当時の資料…多くのものがありましたが、
一番は、拷問部屋です。

本などで「拷問があった」といった表現を見ることはありましたが、
実際に再現されたコーナーで、目の前にするとこう…言葉にできないような思いがこみあがってきました。


2つ目は、メモリアルホールという、5000もの受刑記録表を通して、西大門刑務所で獄苦を経験して殉国した独立運動家を記録を通しその歴史を振り返る場所です。


単に数字で「5000」と記載されているよりもインパクトが強いのだろうなと思いました。


3つ目は、外にあった「大韓獨立」の文字です。
写真に写っている物自体は展示物ではないのですが、

当時のまま残っているものだからこそ、

国民の意志、これが当たり前だったのだろうな…などと考えさせられました。



もう1つの見学地は
戦争と女性の人権博物館というところです。


ここは国立の博物館というわけではなく、
多くの人からの援助を受けて民間で…

糸数のアブチラガマ

前後しますが、合宿二日目は沖縄戦跡と基地をフェンス越しに確認する一日でした。
朝8時半ホテル出発で夜8時半ごろ帰着というハードスケジュール。

糸数ではアブチラガマを見学しました。多くの負傷した兵隊や住民が亡くなりました。私たちがガマに入った日は、それまで長いあいだ雨が降らずサトウキビも枯れた状態だったのに、天井からぽたぽたとしずくが落ちていました。湿気と血と糞便、腐敗臭、そして懐中電灯をつけていても先が見えない漆黒の闇の中でどれほど多くの沖縄の人々が息を殺して暮らしていなければならなかったか、暗闇の中に運ばれ、それ以降誰もそこから戻らなかった部屋もある、そんなガマの滑りやすい床を注意深く進む中で、私たちはボタンを見つけました。遺品であろうとのことで、出口の係の方に渡して帰りました。

自分たちがここで暮らせと言われたらどうだろうか・・・死と隣り合わせの毎日を、赤ちゃんを背負った母親がその泣き声が死に直結すると恐れながら、どうやって一瞬一瞬を耐えたのか、前の銃剣、後ろの銃剣におびえる日々を想像しながらのつらい学習でした。
ヘルメットをかぶっていなければ、確実に頭をぶつけるほど。

 米軍ヘリが墜落して炎上した沖縄国際大学の「その時に燃えた木」の記念碑もみました。
 事務職員はたまたま席を外していて無事。自分がいた場所はめちゃくちゃになっていたそうです。
 たまたま近くにいた赤ちゃんとお母さんが、あわてて逃げて自分のいた場所をみたら、ヘリの大きな部品がその場所に落下していました。
沖国大の記念碑、木です(でした)
  普天間基地が見渡せる公園の高台にやってきました。
沖国大はすぐそばでした。

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