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注目

夏ゼミ~スタート

皆さん、 久しぶりの投稿です。  テスト終わって、夏休みに入りました。
 うちのゼミは勉強のゼミのため、週2回程度の集まりで夏休みも同じく進行します。  アンドルー・ゴードンの『日本の200年』の内容に沿って勉強するとともに、事前の学習で朝鮮半島の南北関係等についても勉強します。

  夏休み合宿地が韓国になりましたが、みんな韓国語は出来ないため、ゼミ長とある研究会で知り合った方が当日のどこかで現地を案内してくれるそうです。そして学校まで誘っていただいて交流会を開きました。みんなと自己紹介と韓国について知りたいことなどを話し合いました。

みんな仲良し! これからも一緒に頑張りましょう。

ジョー

結婚は社会的なもの?はっはっは、冗談じゃない

誰かさんが言いました。「結婚とは社会的なものである」・・・

いやあ、久し振りに聞いた。でもあまりに進歩していないセリフに驚いたほうが強かったかな。

ちなみに、
この言葉は二種類の解釈が成り立ちます。

①個人と個人の結婚ではなくて、家同士の結婚なのだ。だからわがままは許されない。:保守的な家父長制、もっといえば天皇制につながるもの

②結婚の形態は「社会へのアピール」なのだ。それに人は社会的動物なので一人では生きていけない。いわば同志の結びつき、みんなに承認され、孤立してはならない。:まあ、「まず、形から入るタイプ」もっといえば、自分がこの差別社会で差別側に属しているという立ち位置を理解していない男に多いタイプ。

どっちもかなり危険です。

いわせてもらえば、結婚とは、「超個人的なものである」・・・・それもそれを口にしていいのは、今の社会では女性だけのはずです。つまり被差別者からしか、口にしてはいけない言葉。
それが本当のところでしょう。

さて、二つの意味を軽く社会学の見方も使って説明すると・・・

①家同士の結婚なんで、相手の親が嫌いでも愛想よくする…そんな人間関係は不毛ですね。せっかく知り合いになったんなら忌憚のないところを話し合って、相手が気に入ったら友達になればいいし、駄目だと思ったら付き合わなければよろしい。

仕事の付き合いはそうはいきませんが、結婚は超個人的なもの。勝手にしていいんです。

②キャッチフレーズから入るタイプの人は、まずこうでなければ純粋な愛の形は表現できない、、、という思いだけが先走ります。が、みんな今生きている時代の影響をちゃんと受けているのですから、女が差別されている今の社会では、そういうキャッチフレーズは女からしか提案してはならないのだ。

差別者の側から差別されている側に押しつけておいて、それを「ほら、形を整えておいたから。」と悦に入っている姿をみると、マイノリティである女性からすれば「何にもお勉強していないんですね?」と言いたくなるわけです。

よく「女性を大切にすること」と「守ってあげなきゃ。いやなことから。」をごっちゃにする人もおりますが、そういう勘違い男は、大黒マキさんの歌にありますね。本当は自分のところで全て解決したいので、相手をわざわざ弱い者として扱うことでその弱さを愛でて喜ぶタイプでしょうか。

いまや、「家族」の概念も多様化しているのですからね。今日は結婚考でした。

コメント

  1. 姉歯先生

    結婚は超個人的なものですか……。

    土曜の教職で、先生が臨床心理士の資格を
    もっている方の授業があるんですけれど、
    NHKで取り上げられた「無縁仏」が今多くなっていて、
    親族がいるのにお骨を引き取らない・家族間における
    連絡がないために死んでも連絡が取れないなどの
    問題があって、共同墓地などが増えているそうです。

    嫁姑問題などは結婚には付き物なんですけど、
    「全くもって私には関係ない」っていう態度をとるのは
    ちょっとどうかなと思います。人として(笑)
    それに、価値観が似たような人ばかりと付き合っていると
    視野が開かないですし!!
    色んな個性の人と話すことも大事だと私は思っています。

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  2. うっちー、

    ふふ、「人としてどうか」という言葉は、こういう風にも使われます。

    「夫婦別姓を望む女性は”わがまま”なのだ。そんな感覚で結婚を望むこと自体”人としてどうだろうか”」

    「私たち”普通の家庭人”のことを政府は考えてほしい」

    デュルケーム(山本さんがただいま卒論のために読破中)は「人として」「普通」という言葉で表わされる外的拘束力が個人の選択肢を狭めることを指摘しています。

    それに加えて、「子供がかわいそうではないか」「老親のことを考えてほしい」という「弱者配慮の要求(草柳千早氏『曖昧な生きづらさと社会』より」は、実際には女性という社会的弱者(差別される側)の存在を忘れているのだと考えるべきでしょう。
    無縁仏が多くなっているのは「嫁」の責任なのかどうか、それも考える必要が「大アリ」ですね。

    ちなみに、私がここで書いていることも、私が女であるからこそ、口にしていいことなのです。残念ながら。

    「ぼくは夫婦別姓をぼくの個人的選択で選ぶのだ。男女関係はそうでなければならない。それこそ平等な結婚だ。」と男が口にした時、行動するとき、それは女に対する積極的暴力となる可能性や「自分のステータスがわかっていない認識不足の差別者」の発言になって相手を冒とくすることになりますよね。

    難しいでしょうかね。

     そういう男性は、「夫婦別姓を進めようとする女性の運動に反対する」積極的な差別者と、実は変わらないのかもしれません。

    もちろん、討論はOKなのです。でも自分の交際相手にそうほざいたとき、自分の立ち位置を考えるべき瞬間を迎えるのだと思うのです。

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